劇症アナフィラキシーの記憶
麻酔導入の際には、ほとんど同時に何種類もの薬物を経静脈的に投与するので、麻酔科医をしていれば、一生に何度かはアナフィラキシー・ショックを経験することだろう。それまでも何度か、全身発赤した症例を経験したことがあったが、その症例では赤くならなかったのですぐには何が起こったのか分からなかった。
深夜の3時半頃だった。麻酔科待機の私に、緊急手術の麻酔依頼の連絡が入った。
「やれやれ、この時間かよ。まったく・・・」
症例は、50歳代の男性、絞扼性イレウスの診断で、イレウス解除術の予定であった。
入室した患者さんに
「お腹の痛みはどうですか?」
と声をかけた。すると、
「今はだいぶ楽になりました。」と。
(本当に手術が必要なのかな~?)と疑問に思いつつも、胸部硬麻、輪状軟骨圧迫下の迅速導入による挿管、といつも通り。CVラインを取ろうとしたとき、いつもなら一発で当たるのに、どうしたことか外した。「イレウスだしな、脱水なんだろうか?」と考えつつ、2回目の穿刺で成功し、カテーテルを留置していると、気道内圧アラームが鳴りだした。
麻酔器を見ると、気道内圧が30cmH2Oくらいに上昇して換気の度にアラームが鳴っている。チューブが折れているわけではない。手早く、CVカテーテルを固定して、「まさかの食道挿管を見逃した!!」と考えつつ、聴診器で呼吸音を確認したが、呼吸音がほとんど聞こえない!
しかも、バッグがかなり重い。酸素飽和度がどんどん低下して行く。
そして、心電図モニターの心拍数が150bpmに跳ね上がっている!!
なおかつ ST が上昇している。
え~~~~~~っ!!!!!
いったい何がおこってるんだーーー???????????
とにかく、まずは食道挿管の否定が先決だ。気管チューブのテープ固定を1つはずして、バイトブロックを取り、喉頭展開してチューブが間違いなく声門を通過しているのを確認した。
血圧が測定できない。酸素飽和度も80台で出たり出なかったりだ。
患者さんの皮膚の色が悪く、死人のような色をしている。
血圧が下がっている。看護師に「エフェドリン、いやノルアドを 20 のシリンジに吸ってくれ!!」と叫んだ。
ノルアドを半分ほど入れたが、脈が触れるようにはならない。
何なんだ!?何が起こってるんだ? やばい、人工呼吸しているのに目の前で患者さんが死にそうになっている! 何か分からないが、それだけは確かだ。こういう時は、「蘇生薬しかない!」、そう思った。
「ボスミンを吸ってくれ!!」
患者さんのヘルツと同じくらい私の心臓もバクバクし、手はブルブル、足はガクガクになっている。
もらったシリンジをどうにかCVラインの三方活栓に連結して静注した。
しばらくすると、外科のドクターが、「フェモラールが触れるようになってきましたよ。」と。
あ~、少し良い兆しが・・・・。
手がぶるぶる震えている今の自分では動脈ラインは確保できないと思い、外科ドクターに、
「先生、そこからAラインを取ってみてもらえませんか?」
とお願いした。
Aラインが確保でき、血圧は何とか50台で推移しているのが確認できた。ボスミンの持続静注とステロイド投与、そして、私は、ひたすらヘスパンダーだの外液だのをシリンジでポンピングした。
ガス分析では、100%酸素で換気しているのに、PaO2 は確か60台だった。ヘモグロビン値は、術前の値よりも上昇していた。
気管支重積発作様の呼吸症状、冠動脈のスパズムと循環虚脱、ボスミンで症状が好転、この三つとガス分析の結果から、
「これはアナフィラキシー・ショックだと思います。赤くならなかったので、何が起こったのか分かりませんでしたけど。」と外科のドクターに話した。
ブロンコスパスムで酸素の取り込みが悪くなったうえに、コロナリースパスムで心原性ショックとなり、しかも血管透過性が亢進して液性成分がどんどん漏出して循環血液量が減少して、ハイポボレミック・ショックも加わった。
ものすごい三重苦だった。
その後の、3時間くらいで4リットル程度の補液をして、次第に循環動態も、呼吸状態も改善していった。午前8時過ぎには何とか抜管して帰室できる状態となった。
その頃になって、同僚が出勤してきた。私のぐったりとした顔を見て、
「どうしたの? 何かあったの?」と。
「いや~、ひどい目に逢いましたよ~。」
結局、イレウスは解除されており、患者さんは手術室に入って、麻酔導入によって重症のアナフィラキシー・ショックを起こしただけで、手術をすることなく退院していった。
一生忘れられない、劇症アナフィラキシーの一症例である。
深夜の3時半頃だった。麻酔科待機の私に、緊急手術の麻酔依頼の連絡が入った。
「やれやれ、この時間かよ。まったく・・・」
症例は、50歳代の男性、絞扼性イレウスの診断で、イレウス解除術の予定であった。
入室した患者さんに
「お腹の痛みはどうですか?」
と声をかけた。すると、
「今はだいぶ楽になりました。」と。
(本当に手術が必要なのかな~?)と疑問に思いつつも、胸部硬麻、輪状軟骨圧迫下の迅速導入による挿管、といつも通り。CVラインを取ろうとしたとき、いつもなら一発で当たるのに、どうしたことか外した。「イレウスだしな、脱水なんだろうか?」と考えつつ、2回目の穿刺で成功し、カテーテルを留置していると、気道内圧アラームが鳴りだした。
麻酔器を見ると、気道内圧が30cmH2Oくらいに上昇して換気の度にアラームが鳴っている。チューブが折れているわけではない。手早く、CVカテーテルを固定して、「まさかの食道挿管を見逃した!!」と考えつつ、聴診器で呼吸音を確認したが、呼吸音がほとんど聞こえない!
しかも、バッグがかなり重い。酸素飽和度がどんどん低下して行く。
そして、心電図モニターの心拍数が150bpmに跳ね上がっている!!
なおかつ ST が上昇している。
え~~~~~~っ!!!!!
いったい何がおこってるんだーーー???????????
とにかく、まずは食道挿管の否定が先決だ。気管チューブのテープ固定を1つはずして、バイトブロックを取り、喉頭展開してチューブが間違いなく声門を通過しているのを確認した。
血圧が測定できない。酸素飽和度も80台で出たり出なかったりだ。
患者さんの皮膚の色が悪く、死人のような色をしている。
血圧が下がっている。看護師に「エフェドリン、いやノルアドを 20 のシリンジに吸ってくれ!!」と叫んだ。
ノルアドを半分ほど入れたが、脈が触れるようにはならない。
何なんだ!?何が起こってるんだ? やばい、人工呼吸しているのに目の前で患者さんが死にそうになっている! 何か分からないが、それだけは確かだ。こういう時は、「蘇生薬しかない!」、そう思った。
「ボスミンを吸ってくれ!!」
患者さんのヘルツと同じくらい私の心臓もバクバクし、手はブルブル、足はガクガクになっている。
もらったシリンジをどうにかCVラインの三方活栓に連結して静注した。
しばらくすると、外科のドクターが、「フェモラールが触れるようになってきましたよ。」と。
あ~、少し良い兆しが・・・・。
手がぶるぶる震えている今の自分では動脈ラインは確保できないと思い、外科ドクターに、
「先生、そこからAラインを取ってみてもらえませんか?」
とお願いした。
Aラインが確保でき、血圧は何とか50台で推移しているのが確認できた。ボスミンの持続静注とステロイド投与、そして、私は、ひたすらヘスパンダーだの外液だのをシリンジでポンピングした。
ガス分析では、100%酸素で換気しているのに、PaO2 は確か60台だった。ヘモグロビン値は、術前の値よりも上昇していた。
気管支重積発作様の呼吸症状、冠動脈のスパズムと循環虚脱、ボスミンで症状が好転、この三つとガス分析の結果から、
「これはアナフィラキシー・ショックだと思います。赤くならなかったので、何が起こったのか分かりませんでしたけど。」と外科のドクターに話した。
ブロンコスパスムで酸素の取り込みが悪くなったうえに、コロナリースパスムで心原性ショックとなり、しかも血管透過性が亢進して液性成分がどんどん漏出して循環血液量が減少して、ハイポボレミック・ショックも加わった。
ものすごい三重苦だった。
その後の、3時間くらいで4リットル程度の補液をして、次第に循環動態も、呼吸状態も改善していった。午前8時過ぎには何とか抜管して帰室できる状態となった。
その頃になって、同僚が出勤してきた。私のぐったりとした顔を見て、
「どうしたの? 何かあったの?」と。
「いや~、ひどい目に逢いましたよ~。」
結局、イレウスは解除されており、患者さんは手術室に入って、麻酔導入によって重症のアナフィラキシー・ショックを起こしただけで、手術をすることなく退院していった。
一生忘れられない、劇症アナフィラキシーの一症例である。
この記事へのコメント
私が会った症例でも手術のため気管挿管した後、換気が急に悪くになり、血圧が低下し50台以下、心電図でST上昇してました。
最初、急性冠症候群と考えてしまいましたがドレープを剥ぐと皮疹がありアナフィラキシーショックか!?となりました。
輸液、カテコラミン投与、ステロイド、抗ヒスタミン剤など投与して血圧は80台に乗りました。2次病院でしたので3次病院に転送しました。向こうについた時はほとんどST変化は消失してました。そちらでKounis 症候群と診断されました。先生の方が重症そうですが。セファゾリンを投与してから発症したので原因はセファゾリンと考えられました。
Kounis 症候群というのですか。それは初耳です。
大量に放出されたヒスタミンによって、気管支攣縮と冠動脈攣縮が同時に起こったに違いないと考えました。いずれにせよ、急性冠症候群を伴う重症アナフィラキシーという、私と同様の症例を経験しておられる先生方もおられるのですね。本当に恐ろしい病態でした。今、思い出しても寒気がするくらい、二度と出会いたくないですね。
しかし、結構麻酔科学会などで発表があります…。
不覚でした。